出現
数年前、家にネズミが出た。そして、何匹かを捕獲した。顔を見ると、普通の哺乳類で愛嬌がある。最初はとてつもなくキモち悪く見えたが、だんだんと親近感がわいた。しかし尻尾だけは、最後までキモち悪かった。そして殺すのは心苦しかっため、その日の内に遠くまで連れていき逃がした。
ここで疑問が浮かんだ。このキモいとキモくないの、境界線はいったいどこにあるのか。
境界
それはたぶん、知る知らないの境界線だろう。
尻尾以外はなんとなく人との共通点がある。そのため認知度も上がり親近感がわく。しかし尻尾だけは自分からしたら未知の世界で、親近感がわかない。さらには、恐怖や警戒心すらも煽ってくる。
最近よく見かける動物虐待についての記事や投稿も、同じ現象だと思った。人の食料や服になっていく、動物たちの無惨な姿。非常にかわいそうである。しかしこの「かわいそう」という感情に関しては、ネズミの話と同じ現象だと感じている。つまり、認知してるものには同情は生まれるが、未知のものには同情は生まれにくい。ここでは哺乳類に対しては親近感がわきやすいが、大抵の人は蚊を殺しても何とも思わないのと同じ現象である。
しかしいくら知識を増やしても、結局世界は未知。私は、頭が良くないため何でもかんでも知ろうとすると、すぐ疲れてしまう。だから未知なものに対して、いちいち偏見を持たないようにしている。だかそのせいで、無関心になってきているから難しい。知ろうとする姿勢は、必要なのかもしれない。
軟体
ネズミの話は、軟体BBOYにとっても他人事ではない。なぜなら軟体は、キモいが前提だからである。個人的にはダンスで驚いてくれるのはうれしいが、怖がらせたり警戒させたいわけではない。もちろんHIPHOPだからブッ飛んでて当然だし、キモさを抑えて何となくキレイに見せる必要はない。そこにどれだけ親近感・人間味を持たせれるかが、カギとなる気がする。その方法は常に模索している。