キラキラネーム本人の声

私は変わった名前 (果物の名前) である。今で言う、いわゆるキラキラネーム。この「キラキラネーム」という言葉自体は、2015年あたりから直接言われるようになった。この記事では「キラキラネーム」という皮肉交じりの言葉は使わず、「変わった名前」と言うことにしよう。

ここでは変わった名前で生きてきた本人の感想を、主観的に書く。

子供の頃はいじられる。

人と違うと気が付いたのは、小学1年の初日。クラス全員での自己紹介の時。名乗ったらクラスメイト全員に爆笑された。そして、それ以前は自分の名前が当たり前だと思っていたため、訳が分からず号泣した。(幼稚園の時は理解力が無かったため、バカにされてても気付かなかった。笑)

その後、どこに行っても名前だけはすぐ広まった。知らない先輩から名前を確認されたことも。さらに「あなたがあの、あの子ね」的な事もよく聞かれた。その度に、「お前誰やねん、まず名乗れや」って思いながら「はい」と一言。

またテレビCMやタレントのネタ・流行りの音楽などで、私の名前が連呼されたりタイトルになった翌日は、必ずと言っていいほどいじられた。その度にテレビには「頼むからやめてくれ」と思った。

ただこれらは変わった名前でなくても、誰にでも起こる。変わった名前の人は、その確率が高いだけの話だ。

そして大抵の場合、1週間もしない内にまわりは私の名前に慣れる。驚かれるの自己紹介の時だけだった。

ある程度大きくなると、かわいそうに思われる。

高校生以上の人たちからは、逆に心配そうに思われることの方が多い。 これは私が小さい頃から、どの世代でも同じである。またキラキラネームという言葉が社会に浸透してからは、よりかわいそうに思われる事が増えた。これはこれで逆にネガティブな感情が渦巻くため、あまり良い風潮ではないと思う。

どうせ他人の名前なんて呼び名にすぎないから、かわいそうとか羨ましいとかは思う必要は無い(あくまで他人の名前は他人事。 しかし自分の名前に愛着を持つと、気は楽 )。どうせ1週間しない内に、皆慣れるわけだし、どんな名前でも「良い名前ですね」って受け流すのが何だかんだ無難。

良くも悪くも、メリット・デメリット

そもそも名前は「体の一部」みたいなものなので、何がメリット・デメリットかは一概には言えない。ここでは変わった名前の本人が思う、性格の「特徴」のようなものを書こうと思う。

・憶えてもらえるが憶えられない

変わった名前だと名前が広まるのが速く、憶えられるのも速い。そのため一方的にまわりから名前を憶えられることが多い。それに対し、自分が相手の名前を憶えるチャンスは最初の自己紹介の一瞬。まだ相手の名前を憶えていない時から親しく接しられると、いつも温度差を感じてしまう。相手は名前で呼んでくれるのに対し、こっちは相手の名前すら憶えていないという罪悪感。だが悪気があるわけではない。そもそも憶えるのに必要な時間が相手より短いのだ。

さらに変わった名前だと、自己紹介の時に自分の名前の話になることがほとんどである。1~2分で終わる挨拶のほとんどが、私の名前の話題になってしまうのだ。これも相手の名前を憶えるチャンスを減らす要因と言えよう。だが私たちが「変わった名前」を少しコンプレックスに感じることと同様に、「普通の名前」をコンプレックスに感じている人も多い。そのため安易に相手の名前の話もしづらい。

このように変わった名前で生きていると「今更あの人の名前を聞けない」という誰にでもある状況が、人より速く到来するのだ。

解決策は、挨拶をしたクラスメイトや同僚の名前をすぐにメモしておくこと。名札や名簿などを活用するとさらに便利だ。とにかく変わった名前だとすぐ憶えてもらえるが、こちらの憶える時間は短い

・良くも悪くも目立つ

身内事やラフな状況・また多様性が受け入れられる環境では、良い意味で目立つ事が多い。しかし公的な場やシリアスな状況では、悪い意味で目立つが多い。またこれらは、人それぞれ捉え方が違うため一概には言えない。

そして変わった名前の本人目線では、小学校卒業までに状況ごとの目立ち方を熟知しているため、生きにくさとかは特にない。目立ち方に関しては、それぞれ上手くやっていると思う。つまりどんな名前の人でも名前と一緒に生きている訳であるから、その名前の扱い方は本人が一番上手い。名前は体の一部だ。

・人格スカウター

ちょっと腹の黒い話で申し訳ない。変わった名前…皆さんの言うキラキラネームの人たちは、全員スカウターを付けているといえよう。人格スカウターである。テレビではキラキラネームのデメリットがよく取り上げられるが、このスカウターがメリットだ。

その意味は、変わった名前を名乗った後の相手の反応で、ある程度相手がどんな人なのか分かるという事だ。良い人・悪い人という単純なことではなく、もっと複雑な性格が反応に出ている。反応は幼少期からずっと見てきた事であるから、情報量は膨大。おそらく変わった名前の人たちには、自動的に備わる感覚だと思う。また変わった名前になればなるほど、相手の素の反応を引き出せる。

しかしこれまたデメリットもあり、私はスカウターのせいで人へ警戒心が強めである。

そして変わった名前どうしで接すると、自己紹介の時に精神的に非常に疲れる。それは名乗った後の反応の駆け引きが、卓球の変化球みたいなバリエーションになるためだ。お互いフェイントとかけまくるみたいな感じ。変わった名前の人たちどうしはそれを知っているため、あまり関わらないようにしているようにも見える。

それはさておき、安易に変わった名前の人に対してキラキラネームという言葉を使わないようにしよう。この言葉自体に、皮肉が混じっているため。また絶妙なラインをついてくるいじりは、大歓迎である。

まとめ

私は、変わった名前だからといって現在特別つらいわけではない。また特別うれしいわけでもない。名前なんて服よりも身近なものだし、何なら生えたり抜けたりする髪の毛よりも身近だ 。つまりどんな変わった名前でも、主観的には特別なものではない。その名前について「あーだこーだ」言われたところで、本人は特に何とも思わないし全部慣れている。逆にすっとんきょな発言をして格を落とすのは発言した側なため、残念だから避けた方が良いと思う。

P.S. 頑張れ!変わった名前の人たち!