18年9ヶ月生きた愛犬、アキちゃん。2002/10/4~2021/7/10

Life

アキちゃん老犬に

いとこが撮ってくれたツーショット

老犬になったアキは、まず走れなくなった。だが歩きは今まで通りの速さ。

私が早朝から夜まで掛け持ちバイトをしていた日と母が家にいなかった日が重なった時は、休憩中に猛ダッシュで家に帰り散歩に連れ行く時もあった。ハードだった。

その後アキはよく躓くようになり、だんだんと真っ直ぐ歩けなくなっていった。歩いていると左か右に寄って行ってしまうのだ。また反応も鈍り、たまに障害物にぶつかるようになった。そして反応が速いアキの寝顔などそれまで見れなかったが、よく見せてくれるようになった。

そしてエサは、ドッグフード・缶詰・キャベツの千切り・ビタミン剤になった。

撫でながらよくアキに問いかけた。お前はこの家にいて幸せなのか?一体なぜ捨てられたのか?人間をどう思っているのか?犬が人間の家で暮らすことで、人間には分かりえない辛いことはないか?留守番の時は寂しくないか?蛍光灯は眩しくないか?電子機器は嫌な周波数を出していないか?犬の嫌いな匂いはないか?床は固くないか?なにか不満があったら遠慮なく言えよ。って言っても返しが来ることなかった。

その後、アキの歩きは日に日に遅くなっていった。家では落ち着かずグルグルと回るようになった。そして介護が必要になり始めたと同時に、コロナが始まる。まるでアキは社会を味方につけているみたいであった。私は介護のタイミングに合わせて端からフルタイムからバイトに変える予定であったため、コロナでも関係なく予定通りだった。しかしその後24時間介護が必要になったことを考えると、3人はいないと厳しかったためコロナも悪い事ばかりではない。

まず家ではグルグル回ってしまうため、リードがよく足に巻き付くようになってしまった。自力ではほどけず、よく倒れてしまった。そのためよくほどいた。さらに散歩中はよく躓いてしまい、たまに転んでしまうように。この頃から常に、家に一人いなければならなくなった。そしてリードを使うのを辞めた。

さらに以前からおしっこが近くなり、昼夜場所問わずおしっことうんこをするようになっていった。床にはおしっこシートを敷くようになり、低確率だが最初はそこでしてくれた時もあった。ただ大抵の場合、毎朝リード・毛布・床はビショビショ。そのため玄関にはおしっこシートを敷き詰める日々。しかし結局ストライクゾーンを外れたり、リードでおしっこを伸ばしたりで、朝は床を拭いて除菌する作業が日課となっていった。

それが半年ぐらい続き、尿意でソワソワしているかどうかは仕草で分かるようになった。それは歩幅と速度。尿意がある時は普通に歩く時とは違い、歩幅が狭い。そして小刻みにたたらを踏む。昼夜問わず足音の変化を察知できた時は、ストライクゾーンにシートをスッと入れて作業を減らした。衛生的にもこれがよかった。

24時間介護

眠そうなアキ

その後、体の機能は徐々に低下してゆく。

次は自力で立ち上がれなくなった。立ちたい時は鳴いて知らせるようになり、死ぬ直前まで昼夜問わず鳴いた。そして世話はこの頃から24時間体制に切り替わってゆく。 私は昼から深夜の担当。そして最後まで顔だけは元気100%で、助けが必要な時は昼夜問わず一生懸命鳴いて知らせくれた。

またおしっこは、普段からポタポタと垂れるように。これはシートを敷き詰めたりで対応した。しかし夜おしっこを寝たまま出すと足が濡れてしまい、乾いても匂いが残るため衛生的に良くない。まだギリギリ立ち上がれる時はオムツをしていた。しかしオムツもお尻周りの毛が濡れて衛生的に悪く、オムツ内がこもるため かぶれることもあった。そしてその頃のアキはよくお尻周りを気にしていた。もっと早く気づいてあげれば良かったが、お尻周りにウジが湧いていたのだ。発見した時は深夜。急いで風呂場へ連れてゆきシャワーとシャンプーをしたが、なかなか取れない。仕方なく約4年間セルフカットに使ったバリカンで、お尻周りの毛を刈った。予想以上にウジが湧いていてビックリしたのと同時に、気付いてやれず申し訳なかった。それ以降、より注意深く観察するようになった。毛を刈ったところは貧弱に見えるようになってしまったが、悪いものが取れてスッキリもした。またバリカンは新しいものを買ったので問題なし。そしてその日私はダンスショーケース当日で、寝ずに本番を迎えた。しかしなんだか良い踊りができた気がする。

アキはまだ歩けたため、散歩はゆっくり行けた。しかしドブなどは超えれないため、その時は持ち上げた。小さい頃から持たれるのが嫌いだったアキも、この頃から抵抗が薄れていった。止まる頻度と転ぶ頻度が増えてきたため、いよいよ中腰で支えながら歩くように。周りの人からもアキは「頑張ってるね~」とよく褒められた。

その後はちょっと歩いてはすぐ止まり、しばらくしてはひっくりかえってしまうように。そして頭はどんどん下へ。そして立たせると頭の重りでグルグル回りながら、どこかに突き当たるまで前進していた。エサと水をあげるのも補助が必要になり、いよいよ介護はハードモード。ほとんど寝たきりの生活に入ったがなるべく運動させた方が良いと思い、近くの公園を支えながら歩かせた。家では壁に寄りかかりながらもよく歩いた。

それすらすらもできなくなる最後の夜。アキは脱走した。ヨレヨレ歩きで遠くへ行けるはずもなく、母と近くを探したがなかなか見つからず。結果近くを通りかかった人たちが見つけて、ヨレヨレのアキを心配そうに見ていてくれた。「大丈夫ですか?どこか悪そうで」と言われたが、「18歳なんです。ありがとうございます」と答えた。これがアキが自力でしっかり歩いた最後の日であった。 まるでアキは最後だと分かっているように、自由に歩いたんだ。そして「やっぱりアキはアキなんだなぁ」と誇らしかった。

その後は鳴いては立たせ、すぐひっくり返るように。しかし、中々鳴き止まず。最初はあまりに鳴き続けたため、正直私たちは堪えてしまった。これじゃ寝れない。しかしアキが何の意味も無く鳴くような犬でないことを、私は知っていた。鳴き止ませるのではなく、鳴いている原因を解決する。

まずアキが言っていることを理解しようと努力した。それは人間の言語のような複雑なものではなく、やったことへのアキの反応から情報を増やしていくような単純な作業。いろんなことを試した。まず立たせたり水を飲ませたりしても、鳴き止まないということが一つ。歩けなくなったことで足腰が弱り、立たせてもおしっこ・うんこがうまくできないということが一つ。さらにおしっこが近くなり本来ならもっと出したいはず、ということがもう一つ。結果おしっこを出す補助が必要であると仮定した。人間の場合お腹を「の」の字マッサージで出やすくする方法があるため、似たようなものも試した。最初は難しかったが段々と出やすいポイントや支え方を見出していき、私はアキのおしっことうんこを出すプロフェッショナルとなった。(詳しいやり方はまた他の記事で紹介しようと思う。)しかし中々コツのいる作業で、当初私以外は出来なかった。 そして大体の場合おしっこを済ませると、落ち着いてねむってしまった。

まとめると老犬が鳴く場合、おしっこ・うんこ・水・エサのいずれかを済ませてあげれば鳴き止む。それでもダメなら病院へ。まず鳴いていたら、この全方法を試す行動が最重要である。あやすのは最後でいい。あやす場合も優しく接してあげて、すごい勢いで鳴くワンコに対して反発するように強く接しない。勢いがある時や辛そうな時ほど優しく。人と同じように。

私たちはアキの手となり足となり、生命を維持した。心なしか以前よりわがままに鳴いているようにも見えた。片手で枕を作ってあげてお腹にそっと逆手を添えると、よく落ち着いた。今まで留守番ばかりさせてきたが、こんなに世話させてくれて私は幸せだった。

いよいよ食欲が減って、体重も軽くなっていった。しかし相変わらず鳴いて私たちを呼んでくれた。そして、その頃には自立することもできず。水・エサのあげ方からおしっこ・うんこのさせ方まで、全ての世話で全体重を支えなければならなくなった。世話の難易度は上がった。

そして2か月ほど経ち、いよいよ食べなくなった。エサと水を口に入れても口を動かさない。だがどうにかちょっとずつあげていた。その頃には目はもう見えず、音も聞こえていなかった。もしかしたら鼻も利いていなかったのかもしれない。だが一生懸命鳴いていた。

食欲がなくなり数日して、声が出せなくなった。生きるのをあきらめたのではなく、声を出す機能が低下したのだ。その証拠として、アキの顔はいつも通り何かを訴えていた。そして黒いうんこが出た。

18年9ヶ月

声が出せなくなり一週間しない内に、アキは18年と9ヶ月の生涯を終えた。深夜だった。早朝みんなで抱っこしながら散歩に行った。最後は自力で黒いうんこをたくさん出したみたいだ。いつものようにお腹をマッサージするとおしっこも出た。 特に見た目は変わらずまだ生きているんじゃないかと思ったが、病院で死が確認された。

そしてアキちゃんとのお別れに、家族全員集まった。みんなで線香をあげた。1日が経ちアキから異臭が出た時、初めてアキの死を自覚した。同時にアキが一生懸命 生命を維持していたことを知った。その匂いが不快だとか悲しいとかではなく、悔しかった。アキが腐っていくことが悔しかった。

3日後に火葬した。火葬後に出てきた骨は、アキそのものであった。てっきり燃えて肉体が消滅するものだと思っていたが、アキのまま過ぎて驚いた。介護で毎日触っていた時の、あの姿のままで。

アキは必死に生きた。先に旅立ったまいちゃんも同じく。もし最初に捨てた方・拾ってくれた方・関わってくれた方がこの記事を読んでいたら伝えたい。彼女たちはそこに生きていた。

最後

もう玄関にアキはいない。不思議と悲しさや寂しさ、介護の達成感もあまり感じない。それよりも何も感じなくなったという感じだ。思い出があるから、空っぽになったわけでもない。最善を尽くしたから、後悔もない。だが当たり前のように日々生活していれば生まれるはずの感情が、一つ生まれなくなった。無くなったわけではなく、生まれなくなった。これが生死か。本当はすごく悲しいのかもしれない。

ふと思い立ち、私は自分のダンスチームから反対されていたBreakParkのクラウドファンディング3万円のステージパフォーマンスのボタンを押した。